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東京散歩 新御茶ノ水で見た二つの稲荷~東京小旅行記

3月某日、私用で東京・御茶ノ水まで足を運ぶことになっていた私は、出発前に地図を眺めていて大変驚きました。

!!??稲荷神社が至近距離に2カ所もある!!??

新御茶ノ水 のコピー
地図の真ん中と左上にある2つの稲荷









 これは驚きです。
 北海道在住の私にしてみれば、東京23区というのは全体で一つの街だという認識でしかないのですが、一つ一つの地区(町内?)を観察してみると、歴史的には小さい集落だったところが人口の増大や交通網の発達に伴って連結してしまったというような場所が多いようです。町歩きをしていて、その地区の歴史を簡単にまとめた案内版をよく読むと、地図上では東京の真ん中なのに昔はただの郊外でしかなかったなんてこともしばしばです。
 
 では、この隣接しているといっても過言ではない2つの稲荷神社はそうした歴史の連結点なのでしょうか?

これは行ってみるしか無い!!

 今回、私は東京・御徒町駅から徒歩5分のところにあるR&B上野広小路ホテルに宿とった。
 ホテルにチェックインできたのは夜の10時半頃。
 本来であれば、夕方になる前にはチェックインできていたはずなのだが、急な仕事が入り昼間の飛行機に乗り込むことができず、急遽手配した飛行機に乗り込むという痛恨のアクシデントが発生。しかも、当初の飛行機はLCCのチケットでキャンセル時の返金が無い条件のものであったため、事前に支払っていた7,000円が無駄になるという泣きっ面に蜂状態になってしまった。挙げ句の果てには、いつも持ち歩いている部屋着を忘れてしまい、アメニティとして必ず置かれている浴衣に袖を通したのだが、時期的なせいか寒い。
 
 空調を調整して何とかしようとするも、いつの間にか浴衣がめくれ、身体のほとんどがむき出しになってしまうという事態にまで対処しようとすると室温をどんどん上げざるを得ず、部屋がサウナ状態にまでなってしまい、そうなると毛布が邪魔で寝ている最中に眠れる人間の本能が覚醒して無意識に毛布をはぎ取ってしまうため、結局身体が冷えていきにっちもさっちもいかない。
 朝起きたときには部屋が熱いんだか寒いんだか意味不明な状態になっており、喉は絶望的なまでに乾燥し、「あ、これは数日中に風邪引く」と思っていたら、案の定2日後に風邪を引いてしまうのであった。
 
 朝食をとったあと直ぐに荷物をまとめ、地下鉄千代田線へと向かう。
 ホテルから地下鉄までの道のりにはアパートや雑居ビルがひしめき合い、その合間に小学校があるという、統一感がない雑然とした道がそこにはあった。これぞ東京。この小学校のすぐ近くには風俗店があったことを思い出し、「最近の小学生は実地で性教育が受けられるのか〜。羨ましいな。」なんて阿呆なことを考えていたのだが、東京の人はこういった現実をどう考えているのだろうか。
 まぁ、日本では子供の目がすぐとどくところにエロ本が置いてあるコンビニなる便利施設があるわけなので、気にした方が負けなのかもしれない…。
 
 地下鉄に乗ると、ものの2分で新御茶ノ水に到着。近い。
 掛けるような早足で階段を上がり、一路目的の神社へと向かった。

ビルの中にある独特なロケーション幸徳稲荷神社

 1カ所目は幸徳稲荷神社。
 

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 ビルの中に場所をとって設置されたこの神社は、真っ赤な幟(のぼり)がないと絶対にその存在に気がつかない場所にある。ビルの一階部分で埋め込まれるようにあるというのならともかく、階段を上がって2階部分にあるため、ただ目を凝らしただけではわかるはずがないのだ。そもそも、「ビルの階段を上がって2階に神社がある」なんて、誰が想像するだろう。この神社には、そういった常識なんてものは一切通用しない。まさに無敵!!

 神社の由来が掲示されていたので目を通す。

「…旧幕時代山城の国淀の城主(現在京都府伏見区淀町…)稲葉但後之守(三代将軍徳川家光の乳人 春日の局の後裔)の江戸小川中屋敷内に祀られてあったもので、当時は鍛冶屋稲荷と称し代々五穀豊饒武運長久を祈願された由緒ある社と伝えられています」

 なんと、もともとは京都でお祀りされていた神社のようである。
 神社が場所を変えて建立されるということはよくあるのだが、京都〜東京というと新幹線でも2時間半の道のりである(なお、AさんとBさんが別々に移動するなんて非効率的な移動方法は、算数の教科書の中だけの設定である)。よく移動して来たものである。

 読み進めて行くと、こう続いていた。

「明治維新後は この地に商家町民移り住み町の名も小川町一番地となり町内の守護神として伏見稲荷神社より霊を勧進し 近隣氏子有志によって新しく社殿を建立…」

 明治維新によって町ごと引っ越して来たというわけですね。ふむふむ。

「昭和二十一年 小川町北部町会が解散され現在の四つの町会に分離…現在に至って居ります…」

 明治維新がどのような形で影響して商家町民に移住を決意させたのかはここから窺い知ることはできませんが、神社に対する霊的な実感は今以上にあったでしょうから、よほどの決意と覚悟があったのでしょう。
 小さいけれど、存在感抜群の霊験あらたかな幸徳稲荷神社でした。

天然痘と戦い、東京の近代化に翻弄されて来た太田姫稲荷神社

 2カ所目は太田姫神社。ここは1カ所目の幸徳稲荷神社から徒歩2分の場所にある(近!!)

IMG_6010.jpg

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 この神社の由来は、千代田区・神田公園地区連合町会のサイト『大好き神田』さんより引用させていただきましょう。

「昔、京都の東南、山城国の一口(いもあらい)の里に「宇迦之御魂神」を祭神とした一口稲荷神社がありました。このお稲荷様は本来、五穀の神(日々の糧となる五つの穀物の恵みを与えてくれる神)でありましたが、その上、穢(けがれや災い)も洗い清めてくれるということからも「えもあらい稲荷」と呼ばれ、近郷近在の人々の信仰を集めておりました。

 室町時代の末頃、関東一帯には天然痘が流行し、この地に在った太田持資(後に道灌)の姫もその病いに罹ってしまいました。
持資がこの噂を聞き及び、さっそく山城国に出向き「一口稲荷」に平癒を祈願したところ、姫は全快したと伝えられております。
後に寺社奉行でありました持資は、相模国の守護上杉定正の命により江戸城を築く時、その鬼門(鬼の出入りする方向、即ち東北、江戸城を基点とすると私たちの地がその方角になる)除けとして、太田家の姫を救った「一口稲荷」を移し奉りました。」

 厚生労働省によると、天然痘は致死率が高く、無治療では30%程度が死に至るとしている。発症から回復までに2〜3週間程度とされるものの、致死率と合わせて考えると、自分が罹ったと分かった瞬間、絶望の淵に追いやられてしまうのは想像に難くない。太田道灌の娘
持資が一口稲荷神社に助けを求めようとしたことはよく理解できる。私なんて、腹痛になっただけで神頼みをするくらいだ。
 
 想像するに、持資が天然痘に罹ったのは関東で流行が始まってからある程度時間がたってからだったのではないだろうか。そうでなければ、ネットもSNSもなかった時代に「ねー、ねー。京都の一口稲荷がすごいらしいよ。」などという噂が伝わってくるわけがないからだ。発症から治癒までの短い期間に30%の人が死んでしまうことを考えると、尚更そう思われる。

 その後の説明を読みすすめていくと、現在の場所に落ち着いたのは昭和6年のことであるらしい。総武線の開通工事の為に移設されたという経緯を見ると、変わりゆく東京の影響を相当程度受けて来たということがわかる。

 ここまで読み進めて行くと、日本人は自然崇拝や神仏に対する敬虔の態度が強いんだか弱いんだかがよくわからなくなってくる。そこかしこに神社があることを考えると信心深いと言えるが、経済活動のために軽々と神様が降りてくる場所を変えることができるというのは、信心深さの証とは言えないのではないだろうか(もっとも、私がこのように考えるのは、自然崇拝の傾向がより強いアイヌ人の思想に長く触れて来たせいなのかもしれないが。アイヌ人は、山を女性の乳房にたとえ、そこから流れて来る川の水を母乳に例えていたという。自然は動かし難いものであるため、そこに崇拝のための施設を建てるとなると、移動させるなどという発想は先ず出て来ない)。

 2つの稲荷神社は何故ここまで近接しているのか?
 うむ、わからん!!
 より細かい調査を行わないことには結論など出せないが、まぁ、北海道に暮らす私がそれをするには長い時間と予算が必要となるため、深入りはしないでおこう。
 分からない部分は「偶然」と荒っぽく無理矢理まとめてしまうにしても、東京内での移設の経緯や地区の変遷を眺めると、人の活動の幅が広がり、小さかった生活圏が一大都市圏へと変貌を遂げて行ったということがおぼろげながら見えてくる。
 氏子の生活を温かく見守って来たこの2つの神社は、昔も今も、その歴史を刻み続けているのである。




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