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歴史の視点 認識の歴史と国家史

従軍慰安婦は、強制されたものだったのか。或は、単なる風俗嬢だったのか。アメリカの原爆投下は、本当に正義だったのか。或は、単に非人道的無差別大量虐殺だったのか。社会主義と資本主義の対決は、本当に資本主義の勝利で終わったと言えるのか。
 歴史の評価は、時代とともに見直されるのが常である。
 その見直しとは、その時代を生きる一人一人が、自分はどのような時間の流れの中に生きているのかという認識によって、おこなわれる
。例えば、日本の地に生まれ育ったものの、自分は日本人としてではなく、世界市民として生きてきたという人がいたとしよう。彼らは、歴史の流れである、近代国家の成立、世界大戦、冷戦体制の終焉、人権意識の高まりを、封建世界から人が開放され、国家さえも超越していく過程であると認識している。そのため、如何なる形であれ、従軍慰安婦を容認した発言や、過去の虐殺の否定につながるような発言を常に問題視する。
 これは、「認識の歴史」と呼ばれる(注1)。個々人の視点から見て、歴史の対象となるものが歴史になるという意味だ。一人一人の認識に委ねられるわけなので、人類解放の歴史も、逆に皇国史観に染まった歴史も、そのどちらも存在している事に矛盾はない。
 こうした歴史とは対照的に、個人が特定のコミュニティに所属しているが故に、強制的に束縛され、それを動かすことが国際的な争いになる歴史というものも、確かに存在する。それが「国家史」(注1)だ。
 例えば、日本が過去に侵略戦争を発動したという認識を否定した場合、戦後処理としてなされた、講和条約締結、各国との平和条約締結、戦後賠償と謝罪、その他国際体制の全てを、否定したことになってしまうという論理がそれだ。戦後の国際秩序の形成は、真偽はともかく、日本が降伏し、連合国がそれを受け入れたという形をとることで成立している。その前提である、戦争行為の責任を否定したということは、当事各国の共有視点を否定したも同然となる。ここで様々な葛藤や問題が生じるわけだが、これが「国家史」と呼ばれるものだ。
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歴史の視点 新華社が論評した「福沢諭吉が一万円札に居座る理由」

9月15日、新華社通信日本語版に「日本紙幣に居座り続ける古顔、福沢諭吉」と題し、日本人の世界観、価値観は如何なるものなのかというコラムが載った。新華社は、中国国務院直属の報道機関であるため、ここに同記事が掲載されたのは中国の日本史観の表れであると思われる。

記事の内容はこうだ。
福沢諭吉は、西洋の学問に心酔し、明治時代における「文明開化」に尽力した人物だ。また、日本近代思想史において、最も早くに「Civilization」を「文明」と訳し、「文明」の概念を導入すると同時に、文明の優劣を説いた。
日本人は、福沢諭吉以前から、司祭マテオ・リッチによってもたらされた世界地図や宣教師が故郷を「欧州」と呼び、中国や朝鮮、日本を「アジア」と呼んでいたことから、東西や欧亜、秩序があり優れた欧州と半開野蛮なそれ以外の地域という、線引きがあることを理解していた。
福沢諭吉は、この理解の基礎の上に、「脱亜入欧」という文化の優劣による評価を導入していった。西洋文化の風がアジアに入り込めば、古いしきたりに囚われた清国や朝鮮は国家滅亡の運命から逃れられず、巻き込まれないようにいち早くヨーロッパ列強の一員となるべきであると考えた。この思想が広く影響を与え、「西洋には属さないが、アジアの独特な文明とも異なる」という今日にも通じる考え方を日本人にもたらした。
その後、表面的にはそれと相反する岡倉天心が「アジアは一つ」と題するアジア主義を打ち出し、第二次世界大戦に至っては、「脱亜入欧」と「アジア主義」は結合することになる。これこそが、大東亜共栄圏のイデオロギーである。
福沢諭吉が1万円札に刷られていることは偶然ではない。日本が歴史問題を認めないのも偶然ではない。この二つの事柄は、すべて同じ歴史的根源から来ている。これこそが、近代日本の自己定義における主体の欠如である。
「犬と鬼 知られざる日本の肖像」(2002)の作者アレックス・カー氏は、中国人学者は日本人学者と違って、「自国の文明の特異性と優越性」を強調したり、それを研究の帰結点としていないから、気持ち的に楽しいと語ったことがある。
こうした発言の背景には、日本の思想が近代化の過程において生み出した、「他者の視点から自分たちを位置づけ、自己評価を行う」という現象につながる。「脱亜入欧」であろうと「アジア主義」であろうと、根は他者による観察視点である。
「日本は、他者による観察視点で自己を観察することによって、観察の主体を消失させ、核心的価値を喪失させてしまっている。米コーネル大学の酒井直樹氏は語る。ある人物がもし内部の視点から自己を観察する場合、自己を特殊だと思うだろうか?
日本の歴史認識が大きく揺らいできたのは明らかだ。アメリカ占領期から冷戦期にかけては、左翼が勢いを得て、一時は自己批判・反省の機運が高まったこともある。しかし、丸山真男や竹内好などの人物が相次いで世を去ると、日本の歴史観は徐々に右へと傾いていく。特に2000年以降、米中関係が緊張してくるとそれは急激になっていく。このような揺さぶりの激しさ、不安定な歴史認識はまさに、核心的価値の欠如を表している。
福沢諭吉は、一代、また一代と日本人の成長と衰退を見つめ続けている。
(本記事では、ユーロ紙幣の肖像との比較もあったが、割愛してまとめた)

中国人は、「核心的〇〇」という言葉が好きみたいだ。共産党という「一つの歴史しか持ち得ない組織」が支配し、また「歴史は勝者が作る」が常の中国にあっては、その存続を維持する為に「核心的〇〇」がなければならないのだろうが、日本は事情が全く異なる。
他者の観察視点で自己を観察するのは、確かに主体性ないことなのかもしれない。しかし、自己の観察視点そのままに他者を観察した場合、「あいつは異質だ!俺たちの核心的利益を害している!排除し、屈服させよ!」となってしまう行き方も、果たしてどうだろうか?中国には是非、その点の「歴史認識」を持ってもらいたいものである。

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