歴史の視点 新しさは錯覚である
新しいと思われていたものが、調べてみれば新しいものでもなんでもなく、寧ろ常に人類史の中に出てきていたという話しは、特段珍しいものでもない。
例えば、婚姻制度はどうだろう。
非婚化晩婚化と言われて久しいが、せっかく結婚しても、生活の場が離れていたり、婚姻届をだしたわけではないが、結婚したのと同じ状態にあるものと自他共に認める事実婚であったりと、婚姻(広く夫婦関係)の形はかなり多様だ。
一昔前までは、婚姻といえば新郎新婦の両親の関係や生まれ順(例えば長男か次男か、といったこと)が大きく作用したし、新郎新婦の親族や友人、会社の関係人を集めて披露宴を行うというイメージも強かった。女性について言えば、結婚は自身の名字を変え、殆ど見ず知らずの新郎の家の一員になるということでもある。女性と姓の関係は、特に特殊で古い問題ではない。学問の世界からワイドショーの世界まで幅広い層が関心の対象としてきたものである。
このような「古い」結婚観からの変化は、一部の層からはこれまでの封建的な価値観からの明確な脱却であるとされ、それは明らかな「進歩」であるとされた。この場合の進歩とは、しかしながら、「2000年前の骨董品」(注1)をはじめて見たときのような感覚でしかない。
というのも、一定の契約書に従って仲立ち人なしで婚姻を行うという行為自体は、2000年以上前のエジプト下層民が頻繁に行っていたことだからだ。婚姻の解消(離婚)は、単に法律上の契約の解除程度のものでしかなく、今日の我々が結婚に抱く「家族ぐるみ、一生もの」と比べれば、かなり程度の軽いものでしかなかったのである。
話しは変わって、病気の世界はどうだろうか。
鳥インフルエンザ――というと、我々の記憶にあるのはここ数年で猛威をふるったウイルスで、養鶏農家に大打撃を与えた疾病であるということくらいだろう。農水省の公表によると、日本で最初に鳥インフルエンザが確認されたのは平成22年11月以降で、9件24農場で高病原性鳥インフルエンザが見つかった。平成23年3月24日には全ての防疫措置が完了し、同年6月にはOIEの基準に基づいて、鳥インフルエンザ清浄国に復帰したという。(注2)
このように聞くと、鳥インフルエンザはつい最近の流行病のように感じられてしまうのだが、実際には19世紀の文献に既に登場している。ウイルスのタイプまで確認されているのは1959年スコットランドでの流行で、以降、数年に一度は鳥インフルエンザが流行している。(注3)
婚姻制度にせよ、インフルエンザにせよ、我々が気をつけなければならないのは、新聞や教科書、テレビ、雑誌で与えられた「新規」と思われる情報が、その実新規でもなんでもない可能性である。最後に、更に身近な例を挙げよう。
この間、私はたまたま見ていたテレビで、夜の街を巨大な白い物体がトラックで運ばれていくシーンを見た。モザイクがかかっており、出演者がそれは何かを答えるのだが、どう見ても「輸送される新幹線」なのである。私は、同じような映像を過去2度見ている。小さな子供であれば、新幹線がトラックで運ばれていく様子は新鮮そのものであるに違いない。それはその子にとって「新規」なものだ。しかし、中高大とすすむにつれ「毎回同じようなものをやっている」と思うようになる。そして、少し賢い人であれば「自分が小さいときにみた映像も、多分繰り返しのワンシーンだったのだろう」と理解するはずだ。
新規かどうかは、歴史を学べば自ずと判断できるようになるだろう。私はそこまでするだけの体力も教養もないが、それらが備わっているひとはやってみてほしい。
注1 山本七平『存亡の条件』ダイヤモンド社、18頁
注2 農林水産省「鳥インフルエンザに関する情報」(http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/tori/index.html)
注3 美馬達哉『リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー』青土社、88頁
例えば、婚姻制度はどうだろう。
非婚化晩婚化と言われて久しいが、せっかく結婚しても、生活の場が離れていたり、婚姻届をだしたわけではないが、結婚したのと同じ状態にあるものと自他共に認める事実婚であったりと、婚姻(広く夫婦関係)の形はかなり多様だ。
一昔前までは、婚姻といえば新郎新婦の両親の関係や生まれ順(例えば長男か次男か、といったこと)が大きく作用したし、新郎新婦の親族や友人、会社の関係人を集めて披露宴を行うというイメージも強かった。女性について言えば、結婚は自身の名字を変え、殆ど見ず知らずの新郎の家の一員になるということでもある。女性と姓の関係は、特に特殊で古い問題ではない。学問の世界からワイドショーの世界まで幅広い層が関心の対象としてきたものである。
このような「古い」結婚観からの変化は、一部の層からはこれまでの封建的な価値観からの明確な脱却であるとされ、それは明らかな「進歩」であるとされた。この場合の進歩とは、しかしながら、「2000年前の骨董品」(注1)をはじめて見たときのような感覚でしかない。
というのも、一定の契約書に従って仲立ち人なしで婚姻を行うという行為自体は、2000年以上前のエジプト下層民が頻繁に行っていたことだからだ。婚姻の解消(離婚)は、単に法律上の契約の解除程度のものでしかなく、今日の我々が結婚に抱く「家族ぐるみ、一生もの」と比べれば、かなり程度の軽いものでしかなかったのである。
話しは変わって、病気の世界はどうだろうか。
鳥インフルエンザ――というと、我々の記憶にあるのはここ数年で猛威をふるったウイルスで、養鶏農家に大打撃を与えた疾病であるということくらいだろう。農水省の公表によると、日本で最初に鳥インフルエンザが確認されたのは平成22年11月以降で、9件24農場で高病原性鳥インフルエンザが見つかった。平成23年3月24日には全ての防疫措置が完了し、同年6月にはOIEの基準に基づいて、鳥インフルエンザ清浄国に復帰したという。(注2)
このように聞くと、鳥インフルエンザはつい最近の流行病のように感じられてしまうのだが、実際には19世紀の文献に既に登場している。ウイルスのタイプまで確認されているのは1959年スコットランドでの流行で、以降、数年に一度は鳥インフルエンザが流行している。(注3)
婚姻制度にせよ、インフルエンザにせよ、我々が気をつけなければならないのは、新聞や教科書、テレビ、雑誌で与えられた「新規」と思われる情報が、その実新規でもなんでもない可能性である。最後に、更に身近な例を挙げよう。
この間、私はたまたま見ていたテレビで、夜の街を巨大な白い物体がトラックで運ばれていくシーンを見た。モザイクがかかっており、出演者がそれは何かを答えるのだが、どう見ても「輸送される新幹線」なのである。私は、同じような映像を過去2度見ている。小さな子供であれば、新幹線がトラックで運ばれていく様子は新鮮そのものであるに違いない。それはその子にとって「新規」なものだ。しかし、中高大とすすむにつれ「毎回同じようなものをやっている」と思うようになる。そして、少し賢い人であれば「自分が小さいときにみた映像も、多分繰り返しのワンシーンだったのだろう」と理解するはずだ。
新規かどうかは、歴史を学べば自ずと判断できるようになるだろう。私はそこまでするだけの体力も教養もないが、それらが備わっているひとはやってみてほしい。
注1 山本七平『存亡の条件』ダイヤモンド社、18頁
注2 農林水産省「鳥インフルエンザに関する情報」(http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/tori/index.html)
注3 美馬達哉『リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー』青土社、88頁
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歴史の視点 歴史認識の方法~未来から現在を規定する④
【矛盾する社会化された私 幸徳秋水や堺利彦も結局は日本人】
「私は、私」しかし「相手から見た私は、私自身が認識する私とはまた異なる」。単純で当たり前のことなのだが、この単純すぎる事実が、私的空間・公的空間の各所で見受けられる様々な論争や紛争の火種となっている。今回も、歴史認識問題と絡めてみていく。
ここで再び、何度か紹介した「認識の歴史」について取り上げたい。また、対概念として「伝統としての歴史」を紹介しつつ取り上げ、「社会化された私」の葛藤を考察していきたい。
山崎正和氏は『歴史の真実と政治の正義』(中央公論社)の中で、「認識の歴史」とあわせて「伝統としての歴史」を歴史認識として挙げている。
「伝統としての歴史」とは、山崎氏の説明によれば「地域性にねざし、主体は共同体であるとともに、その対象も共同体の同一性である。目的は共同体の情緒的な結束である。」とし、「(認識の歴史との間で)問題が起るのはここに一つの歴史外の力が働いたときであり、それが両者を強引に統一しようとしたとき」であるとしている。
私の考え方として、この「伝統としての歴史」とは「社会化された私」と同じ次元のものである。
なぜなら、「伝統としての歴史」は共同体の同一性を生むものとして、その土地と空間・環境・人間の情報緊密化によって育まれた、所作の癖・言語の深化・行儀作法から宗教的作法にいたるまでの全てを包摂した、全てに先立って存在しているものであり、「社会化された私」は自分自身に対する評価ではなく、他人が自分に与えた像を指すものであるからだ。
簡単にするために極端に言うと、過去の時代、日本人の中に幸徳秋水(1871―1911)や堺利彦(1871―1933)のように反戦を訴えた者がいたとしても、日本という国が戦争をしたのは事実であり、それは誰の手にもかえる事ができない「伝統としての歴史」である。それは当然に「伝統としての歴史」がカバーしている共同体に生まれながらにして属している「日本人」をも含んでいる。この「日本人」の考え方は「社会化された私」そのものである。幸徳秋水や堺利彦がいくら反戦論者(非戦論者といった方が正しいが)だったと主張しても、「でもあなたは日本人だった。主観で反戦論を展開したって、客観的には日本人なのだ」といわれてしまえば終わりである。
幸徳秋水と堺利彦は、社会主義論者だった。幸徳秋水は1910年の大逆事件で翌年処刑されてしまうが、彼らは主観的には無政府主義・社会主義の推進を掲げて活動していた(国内的には客観的にも社会主義者だったろう)が、「日本人」という名で海外から「2人の社会化された私像」を見てみると、「戦争国の一因だ」とされてしまうのである。
「認識の歴史」は、「何が歴史か」が個人の主観によってことなるということであった。
そして「伝統としての歴史」は「社会化された私」に対し自動的に一定の評価を与える。例えば、「あいつは日本人だ」だとか「あいつは戦犯国の子孫だ」といった具合である。
この二つの間には、深刻な矛盾がある。
自身を社会主義・無政府主義者と自任する者が、一方では生まれからして自動的に戦争国の一員になってしまうという幸徳・境の矛盾。平和的発展を目指していながら、他国から軍事的警戒感を向けられる中国の矛盾。従軍慰安婦はいなかったと信じていながら、国家レベルでは存在を認めているため主張するたびに内外で問題になる政治家の矛盾などなど。
この矛盾を解消する方法があるとするならば、それは自分を他人の「私像」に合わせるか、中国の「小人革面」のように「私は私として自由にやる。歴史?政治家がもてあそぶものでしょ?」というように「自分からは判断をくださないから、何を思われても矛盾しないでしょ」という態度しかあり得ないことになる。
我々は、如何なる立場をとるべきなのだろうか?私の4回にわたる詭弁は以上とし、そこからさきは、それこそ個人の主観と考察にお任せしたい。
「私は、私」しかし「相手から見た私は、私自身が認識する私とはまた異なる」。単純で当たり前のことなのだが、この単純すぎる事実が、私的空間・公的空間の各所で見受けられる様々な論争や紛争の火種となっている。今回も、歴史認識問題と絡めてみていく。
ここで再び、何度か紹介した「認識の歴史」について取り上げたい。また、対概念として「伝統としての歴史」を紹介しつつ取り上げ、「社会化された私」の葛藤を考察していきたい。
山崎正和氏は『歴史の真実と政治の正義』(中央公論社)の中で、「認識の歴史」とあわせて「伝統としての歴史」を歴史認識として挙げている。
「伝統としての歴史」とは、山崎氏の説明によれば「地域性にねざし、主体は共同体であるとともに、その対象も共同体の同一性である。目的は共同体の情緒的な結束である。」とし、「(認識の歴史との間で)問題が起るのはここに一つの歴史外の力が働いたときであり、それが両者を強引に統一しようとしたとき」であるとしている。
私の考え方として、この「伝統としての歴史」とは「社会化された私」と同じ次元のものである。
なぜなら、「伝統としての歴史」は共同体の同一性を生むものとして、その土地と空間・環境・人間の情報緊密化によって育まれた、所作の癖・言語の深化・行儀作法から宗教的作法にいたるまでの全てを包摂した、全てに先立って存在しているものであり、「社会化された私」は自分自身に対する評価ではなく、他人が自分に与えた像を指すものであるからだ。
簡単にするために極端に言うと、過去の時代、日本人の中に幸徳秋水(1871―1911)や堺利彦(1871―1933)のように反戦を訴えた者がいたとしても、日本という国が戦争をしたのは事実であり、それは誰の手にもかえる事ができない「伝統としての歴史」である。それは当然に「伝統としての歴史」がカバーしている共同体に生まれながらにして属している「日本人」をも含んでいる。この「日本人」の考え方は「社会化された私」そのものである。幸徳秋水や堺利彦がいくら反戦論者(非戦論者といった方が正しいが)だったと主張しても、「でもあなたは日本人だった。主観で反戦論を展開したって、客観的には日本人なのだ」といわれてしまえば終わりである。
幸徳秋水と堺利彦は、社会主義論者だった。幸徳秋水は1910年の大逆事件で翌年処刑されてしまうが、彼らは主観的には無政府主義・社会主義の推進を掲げて活動していた(国内的には客観的にも社会主義者だったろう)が、「日本人」という名で海外から「2人の社会化された私像」を見てみると、「戦争国の一因だ」とされてしまうのである。
「認識の歴史」は、「何が歴史か」が個人の主観によってことなるということであった。
そして「伝統としての歴史」は「社会化された私」に対し自動的に一定の評価を与える。例えば、「あいつは日本人だ」だとか「あいつは戦犯国の子孫だ」といった具合である。
この二つの間には、深刻な矛盾がある。
自身を社会主義・無政府主義者と自任する者が、一方では生まれからして自動的に戦争国の一員になってしまうという幸徳・境の矛盾。平和的発展を目指していながら、他国から軍事的警戒感を向けられる中国の矛盾。従軍慰安婦はいなかったと信じていながら、国家レベルでは存在を認めているため主張するたびに内外で問題になる政治家の矛盾などなど。
この矛盾を解消する方法があるとするならば、それは自分を他人の「私像」に合わせるか、中国の「小人革面」のように「私は私として自由にやる。歴史?政治家がもてあそぶものでしょ?」というように「自分からは判断をくださないから、何を思われても矛盾しないでしょ」という態度しかあり得ないことになる。
我々は、如何なる立場をとるべきなのだろうか?私の4回にわたる詭弁は以上とし、そこからさきは、それこそ個人の主観と考察にお任せしたい。
歴史の視点 未来から現在を規定する③
【社会化された私】
前回まで、「認識の歴史」についてふれた。
歴史認識問題に対し、それに賛成する者も否定する者も共通して「歴史的過去→歴史的現在→歴史的未来」という流れで歴史をとらえているものの、認識する主体が何を歴史として認識しているのかで、例えば憲法改正問題に対してまったく逆の見解となるということを検討した。
そして、この「認識の歴史」によって導きだされた「歴史的未来」によって、我々はその未来への接続点である「歴史的現在」のあるべき姿を規定しているということを、私は述べた。
以前、鳩山元首相が香港のテレビで「中国側から『日本が(尖閣を)盗んだ』と思われても仕方がない」と発言したというニュースが飛び込んできた。元首相経験者が、政府見解と異なる発言をし国益を損ねる言動をとり続けようとするその動機は不明だが、強いて知る必要もないだろう。何せ彼は、その後「そんなこと言ってない」としゃあしゃあと述べたのだから。精神病か何かなのだろう。
このニュースを見て、私は名前と肩書き、そして歴史認識の関係について考えてみた。
人間は、生まれて初めて名前を与えられる。そして成長の過程で、小学生、中学生、高校生、大学生、会社員、会社課長、会社社長というような社会的肩書きが与えられていく。肩書きは、個人の名前に引き寄せられて一つずつ加わって行き、やがて生身の人間とは異なった、社会化された人間となって世に登場することとなる。
例えば、「私は私だ」という意識は、私自身を拘束している。他人が自分をどのように認識していようと、自分のことを真に理解しているのは自身だけである。なぜなら、私は24時間365日、死ぬその瞬間まで自分と共に居続ける唯一の存在だからだ。だからこそ、「私は私だ」という意識を持ち得、また持ち続ける資格を持つ。しかしそれは、時に自身を過大評価し、時に過小評価し、偏ったものになりやすい。
他人は、例え家族、友人であろうと所詮は長い自分の人生の一部の時間を共にしているに過ぎない。どんなに自身に対する理解が深まったとしても、所詮それはその人の前でのみ現れる限定的な自分であり、それらを全てつなぎ合わせても本当の私にはならない。私自身が理解している「私」と同じにはならないのだ。例えば就職活動は、他者から見た私と、私自身が見ている私の間の深刻な分裂と矛盾を強制的に認識させられる作用を持っている。どんなに「〇〇が好き!〇〇になりたい!」と思っていても、他人が「いや、あなたにはむいていない。もっと適した仕事がある」と認識すればその仕事に就ける可能性は格段と下がる。
しかし、この「他者から認識されることで生まれる、異なった私」は、明らかに社会的に認知された私である。私の意思とは無関係に、他者の中に私の像が埋め込まれ、それが名前や肩書きによって再生される。
それが「社会化された人間」である。
「私は私だ」という意識は死ぬまで途切れる事なく続くが、他者から見た「私」は、コミュニケーションをとり「他者の色眼鏡」を通した時にしか存在しない。
【肩書きが生む歯車化された私 商品化された労働力(マルクス)】
名前に引き寄せられる肩書きは、個人の能力と社会的地位を表している。
例えば、社長業だ。企業間の合併・統合、その他会社やビジネスの重要事項に伴う決定は、会社の全ての情報を自在に引き出せ、運用できる社長に任せた方が円滑に進む。社長たる代表取締役は、会社法・商法上、企業を代表して職務を執行しまたそれを登記しなければならないこととなっている。それは、(株式会社であれば)株主がその個人の能力を認め、対外的にはあらゆる責任と職務の中心であるということの宣言にほかならない。
企業の経営はその代表取締役を中心にして行われていく、まさに「代表取締役=歯車」というわけだ。
社長業に限らず、働く者は言ってしまえば全て歯車である。重要度や能力の希少性でその役割は変わってくるが、それがなければ業務は回りづらくなる。
ただ、この歯車とは、個人が有している能力や資質の中で「その業務を遂行するに適したもの」を取り出して言っているにすぎない。マルクスは『資本論』の中で、人間は労働力を商品として資本家に売り、生産過程に入り込むことで商品に価値を加えていく旨説いたが、それは私の解釈ではこうだ。
つまり、「個人の能力=どのような歯車になれるのか」、「社会的地位=歯車の希少性」なのだ。そして肩書きとは、その歯車の名称なのだ。
次回→「社会化された私」は、相互に矛盾する。歴史認識問題に見る矛盾の激突
前回まで、「認識の歴史」についてふれた。
歴史認識問題に対し、それに賛成する者も否定する者も共通して「歴史的過去→歴史的現在→歴史的未来」という流れで歴史をとらえているものの、認識する主体が何を歴史として認識しているのかで、例えば憲法改正問題に対してまったく逆の見解となるということを検討した。
そして、この「認識の歴史」によって導きだされた「歴史的未来」によって、我々はその未来への接続点である「歴史的現在」のあるべき姿を規定しているということを、私は述べた。
以前、鳩山元首相が香港のテレビで「中国側から『日本が(尖閣を)盗んだ』と思われても仕方がない」と発言したというニュースが飛び込んできた。元首相経験者が、政府見解と異なる発言をし国益を損ねる言動をとり続けようとするその動機は不明だが、強いて知る必要もないだろう。何せ彼は、その後「そんなこと言ってない」としゃあしゃあと述べたのだから。精神病か何かなのだろう。
このニュースを見て、私は名前と肩書き、そして歴史認識の関係について考えてみた。
人間は、生まれて初めて名前を与えられる。そして成長の過程で、小学生、中学生、高校生、大学生、会社員、会社課長、会社社長というような社会的肩書きが与えられていく。肩書きは、個人の名前に引き寄せられて一つずつ加わって行き、やがて生身の人間とは異なった、社会化された人間となって世に登場することとなる。
例えば、「私は私だ」という意識は、私自身を拘束している。他人が自分をどのように認識していようと、自分のことを真に理解しているのは自身だけである。なぜなら、私は24時間365日、死ぬその瞬間まで自分と共に居続ける唯一の存在だからだ。だからこそ、「私は私だ」という意識を持ち得、また持ち続ける資格を持つ。しかしそれは、時に自身を過大評価し、時に過小評価し、偏ったものになりやすい。
他人は、例え家族、友人であろうと所詮は長い自分の人生の一部の時間を共にしているに過ぎない。どんなに自身に対する理解が深まったとしても、所詮それはその人の前でのみ現れる限定的な自分であり、それらを全てつなぎ合わせても本当の私にはならない。私自身が理解している「私」と同じにはならないのだ。例えば就職活動は、他者から見た私と、私自身が見ている私の間の深刻な分裂と矛盾を強制的に認識させられる作用を持っている。どんなに「〇〇が好き!〇〇になりたい!」と思っていても、他人が「いや、あなたにはむいていない。もっと適した仕事がある」と認識すればその仕事に就ける可能性は格段と下がる。
しかし、この「他者から認識されることで生まれる、異なった私」は、明らかに社会的に認知された私である。私の意思とは無関係に、他者の中に私の像が埋め込まれ、それが名前や肩書きによって再生される。
それが「社会化された人間」である。
「私は私だ」という意識は死ぬまで途切れる事なく続くが、他者から見た「私」は、コミュニケーションをとり「他者の色眼鏡」を通した時にしか存在しない。
【肩書きが生む歯車化された私 商品化された労働力(マルクス)】
名前に引き寄せられる肩書きは、個人の能力と社会的地位を表している。
例えば、社長業だ。企業間の合併・統合、その他会社やビジネスの重要事項に伴う決定は、会社の全ての情報を自在に引き出せ、運用できる社長に任せた方が円滑に進む。社長たる代表取締役は、会社法・商法上、企業を代表して職務を執行しまたそれを登記しなければならないこととなっている。それは、(株式会社であれば)株主がその個人の能力を認め、対外的にはあらゆる責任と職務の中心であるということの宣言にほかならない。
企業の経営はその代表取締役を中心にして行われていく、まさに「代表取締役=歯車」というわけだ。
社長業に限らず、働く者は言ってしまえば全て歯車である。重要度や能力の希少性でその役割は変わってくるが、それがなければ業務は回りづらくなる。
ただ、この歯車とは、個人が有している能力や資質の中で「その業務を遂行するに適したもの」を取り出して言っているにすぎない。マルクスは『資本論』の中で、人間は労働力を商品として資本家に売り、生産過程に入り込むことで商品に価値を加えていく旨説いたが、それは私の解釈ではこうだ。
つまり、「個人の能力=どのような歯車になれるのか」、「社会的地位=歯車の希少性」なのだ。そして肩書きとは、その歯車の名称なのだ。
次回→「社会化された私」は、相互に矛盾する。歴史認識問題に見る矛盾の激突
歴史の視点 歴史認識の方法~未来から現在を規定する②
【未来から現在を規定する】
「未来を語る」をより深く見てみれば、「未来から現在を規定する」という思考に行き着く。改憲派にせよ、反対派にせよ、歴史的未来の規定によって、現在を規定しているのだ。改憲派は「改憲しないと、日本は駄目になる」と未来を規定するし、反対派は「改憲すると、日本は暴走し駄目になる」と未来を規定する。
言うまでもなく、この現在の規定方法の中には科学的考察もなければ、第三の道を模索する能動的姿も見当たらない。常に「ああなれば、こうなる」式で話しは進んで行き、「駄目になる」「最悪な結果になる」という結論だけが一人歩きしている。
少し話しはそれるが、大学の世界でも時折同種の「ああなれば、こうなる式」思考は姿を現している。面白いので、少し長くなるが元ネタから引用しよう。
大学紛争の時代の話しだ。「紛争の時、消防士を校内に入れてよいのかが問題になった…。「紛争が起っても機動隊を入れてはいけない」「では、火事になっても消防士を入れてはいけないのか」「いけない」といった種類の議論…。」が起った。「論理というよりも、…思考の過程を結論の方から逆にたどっていくと、次のようになるに相違ない。「火事のときに消防士を入れてもよいとなると、結経、紛争のときには機動隊を入れてもよいということになる。そうなると小さい紛争のうちに警察官を入れた方がよいということになり、次にさらにそれが…(ママ)となって、最終的には学問の自由が侵される」。これを「学問の自由」の方からたどれば、「火事になっても消防士を入れてはならない」という結論になる…」。(『山本七平ライブラリー❹「常識」の研究』94頁、文藝春秋)
私も、学生時代はこの手のやり方を教授陣が多用しているのに驚いた記憶がある。偶然なのかもしれないが、憲法学者がよりこの論法を好んでいるように見えた。
「歴史的過去→現在→未来」から現在を規定する方法は、合理的なやり方に見えるが、その一方通行的思考法にとらわれすぎると「自分はどうすべきか」という姿勢が薄れてしまう負の効果がある。
理想とされるのは、この一方通行的思考を把握し、その上で自分がどのように行動を起こすのかを考えることである。
【歴史に面従腹背する ~小人革面~】
歴史認識の認識方法について「歴史的過去→現在→未来」と「認識の歴史」の相互作用を見てきた。しかし、種々の歴史認識問題に対し「認識の歴史」は他の選択肢を提供する。
それは、「歴史を認識するという方法をとらない」という選択である。「認識の歴史」という概念の存在が明らかになったとき、「では、歴史について何も認識しないで生きて行くという考えもありなのでは?」という考え方も当然に生まれる。
この手の認識方法は、中国人の政治哲学を見ているとわかるようになってくる。
日華事変のときに中国に長く駐留した人々は、中国の庶民にはかなわないと思っていた人たちが多かったという。中国の各村の村長は、三本の旗を持っている。日本軍が来れば日章旗を、共産党軍が来れば五星紅旗を、国民党軍が来れば青天白日旗を掲げる。相手によって持つ旗は改めるが、本心から服従しているわけではないというしたたかさが、その理由だ。この「面だけを改める」ことを「小人革面」という。
彼らは、歓迎もせず、否定もしない。やれと言われればやるだろうが、翌日には手のひらを変えてころっと変わってしまう。否、できてしまう。黄文雄氏は著書の中で、「彼らは勇ましく民族主義を掲げて他者に愛国心を強いるが、自分だけは全て例外である。」と指摘している。
中国人は、国は国、自分は自分と明確にわけている。国がどうなろうと、私には内々何も関係ないと考えているというのだ。
この、「国とは違う私」という姿勢が「歴史を認識しない」という行き方とつながっている。言ってしまえば、歴史とは権力者が紡ぐ物語であって、その前に私は関係なく、従えと言われれば従うが、それは本心からではない。というのである。
【憲法改正 私の意見】
歴史を認識する、或は認識しないという二つの行き方を示した。
私は改憲に賛成している。しかし、反対派の主張ももっともだと思っている。憲法は政府の権力行使を制御する役目を負っている。行き過ぎた権力行使が起きないよう、憲法の改正をいたずらに認めるべきではないだろう。
しかし、改憲へのハードルが高すぎる現行憲法は、言い換えれば反対派が主張する各種の問題が起るまでの条件が厳しすぎるということと同じである。私に言わせれば、「「ああなれば、こうなる論」に支配されすぎ、心配のし過ぎ」なのである。
「改憲は、安倍政権の暴走だ」という議論そのものが暴走していると思うのは、私だけだろうか。
「未来を語る」をより深く見てみれば、「未来から現在を規定する」という思考に行き着く。改憲派にせよ、反対派にせよ、歴史的未来の規定によって、現在を規定しているのだ。改憲派は「改憲しないと、日本は駄目になる」と未来を規定するし、反対派は「改憲すると、日本は暴走し駄目になる」と未来を規定する。
言うまでもなく、この現在の規定方法の中には科学的考察もなければ、第三の道を模索する能動的姿も見当たらない。常に「ああなれば、こうなる」式で話しは進んで行き、「駄目になる」「最悪な結果になる」という結論だけが一人歩きしている。
少し話しはそれるが、大学の世界でも時折同種の「ああなれば、こうなる式」思考は姿を現している。面白いので、少し長くなるが元ネタから引用しよう。
大学紛争の時代の話しだ。「紛争の時、消防士を校内に入れてよいのかが問題になった…。「紛争が起っても機動隊を入れてはいけない」「では、火事になっても消防士を入れてはいけないのか」「いけない」といった種類の議論…。」が起った。「論理というよりも、…思考の過程を結論の方から逆にたどっていくと、次のようになるに相違ない。「火事のときに消防士を入れてもよいとなると、結経、紛争のときには機動隊を入れてもよいということになる。そうなると小さい紛争のうちに警察官を入れた方がよいということになり、次にさらにそれが…(ママ)となって、最終的には学問の自由が侵される」。これを「学問の自由」の方からたどれば、「火事になっても消防士を入れてはならない」という結論になる…」。(『山本七平ライブラリー❹「常識」の研究』94頁、文藝春秋)
私も、学生時代はこの手のやり方を教授陣が多用しているのに驚いた記憶がある。偶然なのかもしれないが、憲法学者がよりこの論法を好んでいるように見えた。
「歴史的過去→現在→未来」から現在を規定する方法は、合理的なやり方に見えるが、その一方通行的思考法にとらわれすぎると「自分はどうすべきか」という姿勢が薄れてしまう負の効果がある。
理想とされるのは、この一方通行的思考を把握し、その上で自分がどのように行動を起こすのかを考えることである。
【歴史に面従腹背する ~小人革面~】
歴史認識の認識方法について「歴史的過去→現在→未来」と「認識の歴史」の相互作用を見てきた。しかし、種々の歴史認識問題に対し「認識の歴史」は他の選択肢を提供する。
それは、「歴史を認識するという方法をとらない」という選択である。「認識の歴史」という概念の存在が明らかになったとき、「では、歴史について何も認識しないで生きて行くという考えもありなのでは?」という考え方も当然に生まれる。
この手の認識方法は、中国人の政治哲学を見ているとわかるようになってくる。
日華事変のときに中国に長く駐留した人々は、中国の庶民にはかなわないと思っていた人たちが多かったという。中国の各村の村長は、三本の旗を持っている。日本軍が来れば日章旗を、共産党軍が来れば五星紅旗を、国民党軍が来れば青天白日旗を掲げる。相手によって持つ旗は改めるが、本心から服従しているわけではないというしたたかさが、その理由だ。この「面だけを改める」ことを「小人革面」という。
彼らは、歓迎もせず、否定もしない。やれと言われればやるだろうが、翌日には手のひらを変えてころっと変わってしまう。否、できてしまう。黄文雄氏は著書の中で、「彼らは勇ましく民族主義を掲げて他者に愛国心を強いるが、自分だけは全て例外である。」と指摘している。
中国人は、国は国、自分は自分と明確にわけている。国がどうなろうと、私には内々何も関係ないと考えているというのだ。
この、「国とは違う私」という姿勢が「歴史を認識しない」という行き方とつながっている。言ってしまえば、歴史とは権力者が紡ぐ物語であって、その前に私は関係なく、従えと言われれば従うが、それは本心からではない。というのである。
【憲法改正 私の意見】
歴史を認識する、或は認識しないという二つの行き方を示した。
私は改憲に賛成している。しかし、反対派の主張ももっともだと思っている。憲法は政府の権力行使を制御する役目を負っている。行き過ぎた権力行使が起きないよう、憲法の改正をいたずらに認めるべきではないだろう。
しかし、改憲へのハードルが高すぎる現行憲法は、言い換えれば反対派が主張する各種の問題が起るまでの条件が厳しすぎるということと同じである。私に言わせれば、「「ああなれば、こうなる論」に支配されすぎ、心配のし過ぎ」なのである。
「改憲は、安倍政権の暴走だ」という議論そのものが暴走していると思うのは、私だけだろうか。
歴史の視点 歴史認識の方法~未来から現在を規定する①
【歴史認識の方法を議論する】
歴史認識が結果物たる憲法に影響を及ぼすというのならば、認識の内容如何含め、認識の方法も議論されなければなるまい。
改憲派と反対派は、主張と結論こそ真逆になっているが、「歴史的過去→歴史的現在→歴史的未来」という図式は共通して持っている。現在を歴史と歴史との間の接点・一段階として見ているという点では、何ら違いはないのである。
違いが生じるのは、「認識の歴史」(※1)においてである。
「認識の歴史」とは、「個々人の視点から見て、歴史の対象となるものが歴史になる」という意味である。両者の違いは、自分自身というものを「日本史の中の自分」においているのか「世界史の中の自分」においているのかという視点を通して、初めて見えてくるのである。
この点を念頭に改めて改正問題を見てみると、反対派の考えにあるのは「世界史の中に自分がいる。それは国家権力が抑制され、初めて実現される人間の解放の歴史である。歴史の流れは、巨大な力を持った国家を否定し、それを制限・抑制させる方向へと向かっている。ところが、憲法の改正は国家権力の発動を容易にさせる作用を持っている。それは解放史としての歴史の流れに反している。よって、改憲は反対である。」という論理だ。
改憲派は「私(例:安倍首相)は日本史の中に自分をおいている。戦後日本は経済復興を成し遂げたものの、政治的に真に独立しているとは言い難い。今の状況を作り上げた原因の一つに現行の憲法がある。現状の唾棄すべき状況を改めるためには改憲が必要であり、それなくして国家と将来を担う子供達に未来はない。」という論理だ。
「歴史的過去→現在→未来」という共通の見方はしているものの、「認識の歴史」によって、主張と結論が大きく変わってしまうというのがよく理解できたと思う。(注1)
「認識の歴史」は個人の主観であるから、当人にとって強固な「思想の源泉」である。「歴史的過去~現在~未来」のそれぞれに、何を当てはめ、「歴史」の期間はどの程度か、何が善悪か、将来はどうなるのかという多様な価値観の素なのだ。
つまるところ、この流れの中で「憲法改正を語る」ということは、「未来を語る」ということと同義語なのだ。
注1 例えば、「認識の歴史」において自分を日本史の中の自分としているにも関わらず、憲法改正反対を訴える者もいる。また、世界史の中の自分としているにも関わらず、改憲に賛成する者もいる。他にも、様々な立場がある。
これら行き方も当然あるという事は忘れてはならない。しかし、今回は議論を単純化する為にあえて改憲派と反対派のみに限定して話しを進めている。私の能力的にも、これ以上話しを広げることは難しいので悪しからず。
※1 山崎正和『歴史の真実と政治の正義』中央公論新社、2009
歴史認識が結果物たる憲法に影響を及ぼすというのならば、認識の内容如何含め、認識の方法も議論されなければなるまい。
改憲派と反対派は、主張と結論こそ真逆になっているが、「歴史的過去→歴史的現在→歴史的未来」という図式は共通して持っている。現在を歴史と歴史との間の接点・一段階として見ているという点では、何ら違いはないのである。
違いが生じるのは、「認識の歴史」(※1)においてである。
「認識の歴史」とは、「個々人の視点から見て、歴史の対象となるものが歴史になる」という意味である。両者の違いは、自分自身というものを「日本史の中の自分」においているのか「世界史の中の自分」においているのかという視点を通して、初めて見えてくるのである。
この点を念頭に改めて改正問題を見てみると、反対派の考えにあるのは「世界史の中に自分がいる。それは国家権力が抑制され、初めて実現される人間の解放の歴史である。歴史の流れは、巨大な力を持った国家を否定し、それを制限・抑制させる方向へと向かっている。ところが、憲法の改正は国家権力の発動を容易にさせる作用を持っている。それは解放史としての歴史の流れに反している。よって、改憲は反対である。」という論理だ。
改憲派は「私(例:安倍首相)は日本史の中に自分をおいている。戦後日本は経済復興を成し遂げたものの、政治的に真に独立しているとは言い難い。今の状況を作り上げた原因の一つに現行の憲法がある。現状の唾棄すべき状況を改めるためには改憲が必要であり、それなくして国家と将来を担う子供達に未来はない。」という論理だ。
「歴史的過去→現在→未来」という共通の見方はしているものの、「認識の歴史」によって、主張と結論が大きく変わってしまうというのがよく理解できたと思う。(注1)
「認識の歴史」は個人の主観であるから、当人にとって強固な「思想の源泉」である。「歴史的過去~現在~未来」のそれぞれに、何を当てはめ、「歴史」の期間はどの程度か、何が善悪か、将来はどうなるのかという多様な価値観の素なのだ。
つまるところ、この流れの中で「憲法改正を語る」ということは、「未来を語る」ということと同義語なのだ。
注1 例えば、「認識の歴史」において自分を日本史の中の自分としているにも関わらず、憲法改正反対を訴える者もいる。また、世界史の中の自分としているにも関わらず、改憲に賛成する者もいる。他にも、様々な立場がある。
これら行き方も当然あるという事は忘れてはならない。しかし、今回は議論を単純化する為にあえて改憲派と反対派のみに限定して話しを進めている。私の能力的にも、これ以上話しを広げることは難しいので悪しからず。
※1 山崎正和『歴史の真実と政治の正義』中央公論新社、2009