いざ行かん!ラオスへの道!⑥ プーシーの丘からの眺め in ルアンパバーン
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ルアンパバーンに到着しホテルでチェックインを済ませたあと、早速プーシーの丘へと足を運ぶ。
ルアンパバーンはランサン王国(1353-1975)の王都で、古くはムアン・スワと呼ばれ、その後シェントーンと呼ばれる。フランスがベトナムを植民地にした勢いでラオスを支配下に置いた際、フランスはこの地にラオス国王の居住地として認めたため、実質的にルアンパバーンがラオスの政治的中心となった。そのため、1975年に共産主義政権が樹立されるまでは、ここに王宮が置かれていた。
それから今日にいたるまで、フランス植民地時代の面影と仏教の地としての性格が色濃くにじみ出るこの土地は、ラオス特有のゆったりとした時間の流れと、その時間を求めてやって来たツーリスト達の慌ただしさが奇妙に入り交じる街となっている。
ふと路肩に 停められていた車が目に入った。
いつの時代の車!???
年代物のトヨタのクラウンが現役!!
日本車の品質の良さは誰もが認めるところだが、車検も無い国で、ここまで古い車が現役であることに腰を抜かしそうになった。とはいえ、こうした物は街中にたくさんあり、日本では博物館に行かないと見ることがない骨董品が今も現役だからこそ、ラオスの時間の流れがゆっくりに見えるというのもあるだろう。
日本に居ると、次から次へと新しい商品や流行物が発売されて、それに押される形で生活してあっというまに1シーズンが終わっていたなんて、よくある話しだ。
さて、王宮だった国立博物館前にあるプーシーの丘への登山道(というより階段)に出る。
日本で事前に仕入れた情報では、この階段は328段あるのだそうで、大したことは無いなと思っていたら結構急だった。
階段は完全に木々で覆われているので強い日差しを受けることはないものの、それでも結構暑さと湿気(ラオスの8月は雨期)が身にしみる。ゆっくり休憩をとって飲み物を口にしながら行くという牛歩戦術(完全に誤用)を多用することによって、何とかこの階段を登りきった。
雨期を反映してか、川の水がかなり濁ってしまっているのが残念だが、その合間に奇麗に磨かれた空気に包まれたルアンパバーンの街並を一望できたためまだ幸運だった。
やはり私の日頃の行いが良いからかとも思ったが、こちらの雨期は日本のようにダラダラシトシト雨が続くというよりは、割とメリハリがあるものらしい。日本人はダラダラ残業するのが好きだが、それは日本列島が育んだものなのかもしれない。
足下には一匹のトカゲが、私の視界の右上3センチ位のところを行ったり来たりしていて、写真を撮ろうとすると華麗にそれを回避していた。私も日本代表として負けるわけにはいかず、しばらくデジカメを構えながらその瞬間を狙っていたものの、今度は視界の左下に登場し、慌ててカメラを構え直すと、その時にはすでにいなくなっているという熱い戦いを人知れず行ったあと、すっかり根をあげて今回は勘弁してあげることにした。
ルアンパバーンの街並を楽しんだら、登ってきた階段とはまた別のルートで山を下りる。
途中、仏陀や仏教関連のオブジェが至る所に置かれていて、またそれが結構な味を醸し出していたのでこの地を訪れる皆さんも是非ご覧になってみて下さい。↓因に、これがそのオブジェの一部です。
ルアンパバーンに到着しホテルでチェックインを済ませたあと、早速プーシーの丘へと足を運ぶ。
ルアンパバーンはランサン王国(1353-1975)の王都で、古くはムアン・スワと呼ばれ、その後シェントーンと呼ばれる。フランスがベトナムを植民地にした勢いでラオスを支配下に置いた際、フランスはこの地にラオス国王の居住地として認めたため、実質的にルアンパバーンがラオスの政治的中心となった。そのため、1975年に共産主義政権が樹立されるまでは、ここに王宮が置かれていた。
それから今日にいたるまで、フランス植民地時代の面影と仏教の地としての性格が色濃くにじみ出るこの土地は、ラオス特有のゆったりとした時間の流れと、その時間を求めてやって来たツーリスト達の慌ただしさが奇妙に入り交じる街となっている。
ふと路肩に 停められていた車が目に入った。
いつの時代の車!???
年代物のトヨタのクラウンが現役!!
日本車の品質の良さは誰もが認めるところだが、車検も無い国で、ここまで古い車が現役であることに腰を抜かしそうになった。とはいえ、こうした物は街中にたくさんあり、日本では博物館に行かないと見ることがない骨董品が今も現役だからこそ、ラオスの時間の流れがゆっくりに見えるというのもあるだろう。
日本に居ると、次から次へと新しい商品や流行物が発売されて、それに押される形で生活してあっというまに1シーズンが終わっていたなんて、よくある話しだ。
さて、王宮だった国立博物館前にあるプーシーの丘への登山道(というより階段)に出る。
日本で事前に仕入れた情報では、この階段は328段あるのだそうで、大したことは無いなと思っていたら結構急だった。
階段は完全に木々で覆われているので強い日差しを受けることはないものの、それでも結構暑さと湿気(ラオスの8月は雨期)が身にしみる。ゆっくり休憩をとって飲み物を口にしながら行くという牛歩戦術(完全に誤用)を多用することによって、何とかこの階段を登りきった。
雨期を反映してか、川の水がかなり濁ってしまっているのが残念だが、その合間に奇麗に磨かれた空気に包まれたルアンパバーンの街並を一望できたためまだ幸運だった。
やはり私の日頃の行いが良いからかとも思ったが、こちらの雨期は日本のようにダラダラシトシト雨が続くというよりは、割とメリハリがあるものらしい。日本人はダラダラ残業するのが好きだが、それは日本列島が育んだものなのかもしれない。
足下には一匹のトカゲが、私の視界の右上3センチ位のところを行ったり来たりしていて、写真を撮ろうとすると華麗にそれを回避していた。私も日本代表として負けるわけにはいかず、しばらくデジカメを構えながらその瞬間を狙っていたものの、今度は視界の左下に登場し、慌ててカメラを構え直すと、その時にはすでにいなくなっているという熱い戦いを人知れず行ったあと、すっかり根をあげて今回は勘弁してあげることにした。
プーシーの丘の頂点に立つ、タート・チョムシーと呼ばれる仏塔。
ルアンパバーンの街並を楽しんだら、登ってきた階段とはまた別のルートで山を下りる。
途中、仏陀や仏教関連のオブジェが至る所に置かれていて、またそれが結構な味を醸し出していたのでこの地を訪れる皆さんも是非ご覧になってみて下さい。↓因に、これがそのオブジェの一部です。
いざ行かん!ラオスへの道!⑤ 空路でのビエンチャン→ルアンパバーンへの移動
首都ビエンチャン限定のラオス旅行という方は少ないと思います。よほど深く細かく時間をかけて観光するというのならまだしも、大抵の人は別の街での観光とセットなのではないでしょうか。今回は、ビエンチャンを飛び出し、ルアンパバーンへ行きます。
いざ行かん!ラオスへの道!④ 空港からビエンチャン市内への移動
【ラオスへの入国】
飛行機がラオスの首都ビエンチャンに到着したのは夕方5時半過ぎ、無事にラオスの入国審査を終えたのは6時過ぎでした。入国審査だけで30分以上もかかってしまったのは、審査場で白人家族4人の手続きだけで15分以上もかかったからです。一体、何にそんなに時間をとられていたのでしょうか?
雨期というだけのことはあり、空港の外ではしとしとと雨が降っていました。空港は日本の協力により建設されたもので、国際線と国内線でターミナルがわかれています。
入国後、至る所にラオスの通貨であるキップに両替可能な銀行があるので、そこで必要なだけ両替をすませてしまいましょう。因に、ラオスキップには硬貨がないので、全てお札でのやりとりになります。
【空港から市街に行く方法】
空港から市街への移動手段は、バス・タクシー・ホテルからの迎えしかありません。この時代、首都にある国際空港といえば大抵アクセス鉄道があり、それで簡単に街中まで行けるようになっているものだと思っていたのですが、このラオスに鉄道などというものはまだ存在しません(※)。
私はタクシーを利用したので、タクシーでの行き方の話しになります。
入国審査を終え、手荷物を受け取り、出口から出るとすぐ目の前にタクシーチケットカウンターがあり、そこで目的地を告げてチケットを買います。カウンターの横にはタクシーの運転手が控えており、彼らにチケットと目的地を告げれば、あとはタクシーで案内してもらえるので簡単です。
市街へは一律5万6千キップ(2014年9月時点で780円)ですが、車種により違いがあるようです。
タクシーに乗ってしまえば、あとは目的地に着くだけ!!
市街へは15分程度の道のりです。
【市街から空港に行く方法】
私は、ホテルのレセプションで送迎用の車を手配してもらいました。料金は5万キップとタクシーより安めです。
【タクシーでの市街観光】
繰り返しになりますが、8月のラオスは1年の中で最も降水量が多い雨期になります。そのため、せっかくの観光が雨で台無しになってしまうということもありえない話しではありません。
ラオス滞在の2日目、早朝の散歩の時点では晴れていたビエンチャン市内も、朝食の時間には雨が降り始めてしまいました。部屋で雨がやむのを待とうか迷いましたが、いつ止むのかわかりませんし、短い休みを利用しての旅行ですから時間は無駄にできません。多少の出費は痛いですがタクシーをチャーターすることにしました。
タクシーでの観光はタートルアン → パツゥーサイ → COPEのコースです。
ホテルのレセプションに「I’d like to sightseeing this area, but it’ raining now, so I’d like to charter a car or taxi.」と微妙な英語で聞いてみると、ホテルの横で待機していたタクシーを捕まえてくれまして、それで移動しました。
タクシー観光は3時間程だったのですが、料金は9万8千キップとぎりぎり10万を下回るくらいでした(日本円で1,200円程度)。
【メコン川で見た格別の夕日 おすすめ!】
ラオスに行くからには、メコン川に沈む夕日は必ず目にしておきたいものです。これを見ずに「ラオスに行きました」というのはかなりもったいない。
この夕日を見た瞬間「旅をしている!!」という実感が身体の底からわき上がってくることは確実です。
首都ビエンチャンのリバーサイドは大きな公園になっていて、5時半頃からはナイトマーケットも始まります。ナイトマーケットでの買い物とセットで、是非メコン川の夕日を見に行ってみて下さい。
※ラオスの歴史
ラオスに鉄道が無いのは、昔ここを植民地にしていたフランスの政策も影響しています。ここは山間にある国でなおかつ人口も少なかったため、フランスは経済的発展が見込めないと判断し、経費のかからない方法での支配政策をとっていました。そのため、インフラへの投資が著しく少なく、鉄道を敷設することもなかったというわけです。(「地球の歩き方」より)
飛行機がラオスの首都ビエンチャンに到着したのは夕方5時半過ぎ、無事にラオスの入国審査を終えたのは6時過ぎでした。入国審査だけで30分以上もかかってしまったのは、審査場で白人家族4人の手続きだけで15分以上もかかったからです。一体、何にそんなに時間をとられていたのでしょうか?
雨期というだけのことはあり、空港の外ではしとしとと雨が降っていました。空港は日本の協力により建設されたもので、国際線と国内線でターミナルがわかれています。
入国後、至る所にラオスの通貨であるキップに両替可能な銀行があるので、そこで必要なだけ両替をすませてしまいましょう。因に、ラオスキップには硬貨がないので、全てお札でのやりとりになります。
【空港から市街に行く方法】
空港から市街への移動手段は、バス・タクシー・ホテルからの迎えしかありません。この時代、首都にある国際空港といえば大抵アクセス鉄道があり、それで簡単に街中まで行けるようになっているものだと思っていたのですが、このラオスに鉄道などというものはまだ存在しません(※)。
私はタクシーを利用したので、タクシーでの行き方の話しになります。
入国審査を終え、手荷物を受け取り、出口から出るとすぐ目の前にタクシーチケットカウンターがあり、そこで目的地を告げてチケットを買います。カウンターの横にはタクシーの運転手が控えており、彼らにチケットと目的地を告げれば、あとはタクシーで案内してもらえるので簡単です。
市街へは一律5万6千キップ(2014年9月時点で780円)ですが、車種により違いがあるようです。
タクシーに乗ってしまえば、あとは目的地に着くだけ!!
市街へは15分程度の道のりです。
【市街から空港に行く方法】
私は、ホテルのレセプションで送迎用の車を手配してもらいました。料金は5万キップとタクシーより安めです。
【タクシーでの市街観光】
繰り返しになりますが、8月のラオスは1年の中で最も降水量が多い雨期になります。そのため、せっかくの観光が雨で台無しになってしまうということもありえない話しではありません。
ラオス滞在の2日目、早朝の散歩の時点では晴れていたビエンチャン市内も、朝食の時間には雨が降り始めてしまいました。部屋で雨がやむのを待とうか迷いましたが、いつ止むのかわかりませんし、短い休みを利用しての旅行ですから時間は無駄にできません。多少の出費は痛いですがタクシーをチャーターすることにしました。
タクシーでの観光はタートルアン → パツゥーサイ → COPEのコースです。
ホテルのレセプションに「I’d like to sightseeing this area, but it’ raining now, so I’d like to charter a car or taxi.」と微妙な英語で聞いてみると、ホテルの横で待機していたタクシーを捕まえてくれまして、それで移動しました。
タクシー観光は3時間程だったのですが、料金は9万8千キップとぎりぎり10万を下回るくらいでした(日本円で1,200円程度)。
【メコン川で見た格別の夕日 おすすめ!】
ラオスに行くからには、メコン川に沈む夕日は必ず目にしておきたいものです。これを見ずに「ラオスに行きました」というのはかなりもったいない。
この夕日を見た瞬間「旅をしている!!」という実感が身体の底からわき上がってくることは確実です。
首都ビエンチャンのリバーサイドは大きな公園になっていて、5時半頃からはナイトマーケットも始まります。ナイトマーケットでの買い物とセットで、是非メコン川の夕日を見に行ってみて下さい。
※ラオスの歴史
ラオスに鉄道が無いのは、昔ここを植民地にしていたフランスの政策も影響しています。ここは山間にある国でなおかつ人口も少なかったため、フランスは経済的発展が見込めないと判断し、経費のかからない方法での支配政策をとっていました。そのため、インフラへの投資が著しく少なく、鉄道を敷設することもなかったというわけです。(「地球の歩き方」より)
いざ行かん!ラオスへの道!③ ラオスへのアクセス
ラオスの8月は一年の中でも最も降水量が多い雨期にあたります。そのため、観光シーズンとしては一年の中で最も人手が少なくなる時期にあたり、宿代なども最も安くなるのだそうです。因に、地球の歩き方やその他のガイド本によると、ハイシーズンは1月から2月頃までの乾期になります。
今回は、私のラオス体験の中から、これからラオスに行こうと考えている方のために役立つ情報をご紹介します。内容が長くなるので、3回程度にわけてご紹介します。
【どこにある?】
ラオスは、インドシナ半島北部に位置し中国・タイ・ベトナム・ミャンマー・カンボジアに囲まれた内陸国です。人口は626万人程で、日本の本州程の国土面積しかありません。また国土の8割は山であるため、平地が少ないのも特徴です。国民の大半は農業に従事しています。
【行く前の情報収集】
マイナーな国であるため、日本で発売されているガイドブックも殆どなく、地球の歩き方が一番の情報源になります。私が旅行していた時も、街中や観光地で見かけた日本人は皆地球の歩き方を持って歩いていました。
他に日本語でまとまった情報量を持つガイドブックはないため、私はロンリープラネットのLAOSを買い、二冊体制で現地を旅していました。
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【行き方】
日本からの直行便はありません。季節限定でチャーター便があるようですが、私はベトナム航空でハノイに入り、そこからラオスへ向かいました。他に、タイや韓国から乗り換える方法があるようです。
2014年8月時点では、朝10時に成田を出発し、現地時間13時半にハノイに到着。夕方16時頃にラオスの首都ビエンチャンに向かう便がり、これを利用しました。タイミングとしては一番いい乗り継ぎだと思います。因に、ハノイ—ビエンチャン間はラオス航空とのコードシェア便で、機体はラオス航空のものでした。
ビエンチャン便に搭乗した際、私は窓側の席(ABCの並びで言うA)をとっていたのですが、いざ飛行機に乗り込んでみると窓側におじいさんが座っているという珍事がありました。
私は、「Window seat is mine!」と抗議しました。
おじいさんは、笑顔で通路側の席を指差し「A!A!A!」と力図よく主張しました。どうやら、私が間違えていると思っている様子。
もめ事は嫌いなので引き下がろうと一瞬思いましたが、ここで譲歩してしまうと海外ではつけ込まれていく可能性もあり、また私が諦めることで「日本人汲みやすし」と思われると癪なので、「Look at this(荷物棚のABCの列がわかるようになっている絵)!Window is A! From Window A seat to aisle C seat !!」と突っぱねました。
すると、前の席に座っていた男性がそのやり取りに気付き、おじいさんの国の言葉で間違いを説明してくれたため、間違っていたのは彼の方だったと納得してもらうことができました。
私も海外経験は乏しいので、力加減がわからず全力で戦う姿勢でいたのですが、物わかりのいいおじいさんであることがわかったので、仕草で「そのまま座ってても良いですよ」というと通路側に腰を下ろすことにしました。
そしてその後ろの席では、もめている私のことなど気にも留めない日本人おばあさん2名が、たまたま乗り合わせた日本人男性を捕まえて質問攻めにし困らせているのでした。
話しは脱線しますが、アジア地域の旅行では(アジアしか行ったことがありませんが)このように指定席をとっていても知らない人が座っているということがよくあります。勿論、譲れるのであれば譲ってもかまわないのですが、誰がどこで降り、また乗ってくるのかが決まっているので、他の席に座っていてもまた同じような言い合いになる可能性があるので、注意が必要です。
つづく